大和総研コラム

「サービス産業の低い生産性を高めなければならない」に騙されてはならない

  • 消費 / 社会
  • 掲載日 : 2017年11月24日
  • 大和総研常務理事 道盛大志郎

こんな標題でコラムを書こうと思ったのは、私の問題意識に沿った二つの出来事に遭遇したからである。私はもともと、「我が国のサービス産業の生産性は、製造業と比べても他国と比べても極めて低いので、高めていかなければならない」という常識に違和感を感じていたのだが、どちらもが、そういう私にとって合点の行くものだったのだ。

まず一つ目は、宅配便を巡る昨今の急展開である。ネット販売の急増に合わせて、鶏と卵のように、宅配便の扱い量も急増した。日本式の迅速できめ細かな配送システムは、ネット販売の手軽さ、迅速さ、品揃えの豊富さと相俟って、店舗を通じた販売を凌駕する上で多大な貢献をした。そして遂に、ブラック企業さながらのあまりに厳しい職場環境に追い込まれて、27年ぶりに宅配便の値上げが行われることとなったのだ。

これを生産性の観点に立って見ると、どうなるだろうか ?  我が国の宅配便の、痒いところまで手が届く至れり尽くせりのサービス振りは、過剰とも言えるし、少なくともガラパゴス的に異例だと言って良かろう。2~3時間刻みの時間指定で配達してくれる。その時間帯に不在でも、電話一本で、希望どおりに届けてくれる。玄関先に置いて待ってさえいれば、回収して配送に回してくれる。ネットでポチッとするだけで、早ければ1時間後に手にすることができる。

こんなことが次々と可能になってきたのだが、27年もの間、宅配便の生産性は向上してこなかった。価格が据え置きだったからだ。一人の社員が運ぶ荷物が増えた分は、向上したであろうが、サービス内容がいくら良くなっても、生産性とは関係ない。というか、本当はデフレータの下落と認識されて実質生産性が上がったと言うべきだが、これがきちんと反映されてきたと聞いたことがない。海外の同等サービスと内容を比較していると聞いたこともない。生産性とは、あくまで金銭的価値で評価されるものなのだ。筆者もそれなりに海外暮らしが長く、どこぞの国では、荷物の行方不明や、意味不明に長い輸送時間に、何度か苦しめられたが、そこでの輸送料金の方が高ければ、我が国のガラパゴス的宅配便を凌ぐ生産性を誇れることになる。

そして遂に、27年ぶりの値上げが行われて、突如として、宅配便の生産性は向上することになった。一体全体、この向上は、喜ばしいことなのか、それとも悲しむべきことなのか ?

もう一つの出来事というのは、もっと息の長い時代の潮流なのだが、人工知能やロボット等の飛躍的発展だ。日本の労働人口の約49%が就いている職業において、人の仕事がこれらに置き換えられることになる、との試算(※1)が出されて、話題を呼んだ。この中に、人工知能やロボット等に代替されてしまう可能性の高い職業として、100種の職種が挙げられている。それを見ると、宅配便配達員のほか、一般事務員、経理事務員などが挙げられている。要は、サービス産業か製造業の中の、特別の知識やスキルが必要とされない職種である。

これを前提に考えると、仮にサービス産業の生産性が低いとしても、しゃかりきになって効率の向上を図ることの有効性は、相当限定的に評価されなければならない。もちろん、ITを導入したり、仕事のやり方を緻密に組み直したりして、生産性の向上を図ることは、近未来においては有効かつ必要であろう。しかし、いずれかの未来においては、結局は大半がAIやロボットに代替されてしまう。いくら米国のサービス産業従事者が自分たちの生産性を自慢したところで、彼らの大半もいつかは代替されてしまう運命にあるのだ。

したがって、近未来における努力も、こうしたことを十分踏まえたものでなければならない。最近流行のおもてなしとか、誠実で正確な対応とか、細かな事情の変化に即応したサービスとか、日本の強みと認識されている力を残し、伸ばしていくような努力である必要がある。お決まりのコストカットだとか、人員削減だとか、マニュアル化だとかは、このような強みと両立可能なのか、よくよく考えた上で講じられなければならない。必要な分野では、むしろ差別化できるだけの余裕を残しておくべきなのだ。これからは創造力の時代だ、なんてよく言われるが、筆者も含めて、殆どの人は大した自信を持てなかろう。まずは、自分の長所を失わずに伸ばしていくことが大切だ。

幸いにして、人手不足の昨今は、必要なサービスに正当な負担を求めやすい環境にあるし、中長期的にも追い風が吹いている。これまで人口減少を女性と高齢者の労働参加で補ってきたが、M字カーブも弱まってきていることなどを踏まえれば、早晩、人口減少の影響をまともに受けざるを得なくなるからだ。

何だよ値上げ論者かよ、と非難されるかもしれないが、長い目で国の将来を考えたとき、そのような方向で物事が進んでいけばなあ、と願うこの頃である。


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